2007年01月23日

アメリカの性の歴史

「性の解放」というとアメリカが先進国のように思っているが、
20世紀前半までのアメリカは世界有数の性的抑圧国だった。
むしろ平安時代から江戸時代の日本の性文化のほうが解放的だったくらいだ。
60年代から70年代にかけて暴走列車のブレーキが壊れる。
20世紀のアメリカの性の流れをまとめてみよう。

1901年 ハブロック・エリスの「性的倒錯」が
      ワイセツとして発禁になる。
      性科学=セクソロジーの創始者
      医者の本なのだが、同性愛は性倒錯でないと主張がショックだったのだろう。
1909年 オーラル・セックスにふけっていた2人の黒人が
      ケンタッキー州で裁判にかけられた。
      それを取り締まる法律がなかったので、無罪になってしまった。
      これを機会に、各州でオーラル・セックスを取り締まる法律ができる。
      黒人だったことがニュースになったのだろうけど、
      家でやってれば見つからないと思うのだが。
1914年 全米女性クラブ連盟が、タンゴを非道徳的ダンスとして禁止する。
      フォークダンスが限界だったのだろう。
      踊れない女性や老人の嫉妬が封建的にあらわれたのか?
1920年 チャップリンが離婚裁判において、妻からクンニリングスを
      さかんにやったことを非難されたことに応えて、
      「しかし、結婚した人はみんなやってることじゃないないか」と発言して
      全米を驚愕させる。
      セックスは密かにすることで、
      ベッドの上の話がニュースに流れること自体が驚愕だったのだろう。
1933年 全米映画製作者協会が女性の乳首と太ももの内側を
      画面に出さないことをきめる。
      今のアジアの映倫が似たような状況。
1938年 ニューヨークの検閲委員会が、次のような事項にかかわるものを扱う映画を
      一切上映禁止処分とすることを決定。
      妊娠、性病、避妊、胎児、私生児、売春、黒人と白人のセックス、離婚。
      こうするとディズニー映画ばっかりになってしまう。
1946年 エドモンド・ウィルソンの「ヘカテの郡の記録」の中で
      女性性器をあからさまに表現する言葉あったために、
      ニューヨーク州でワイセツ罪に問われ有罪となった。
      最高裁でも有罪。
1957年 連邦最高裁ロス・アルバート事件の判決が、猥褻罪に新しい判断をくだし
      時代を画する。
      ロス・アルバート事件というのは猥褻な文書の郵送を禁止し処罰した連邦法の
      合意性が争われたもの。
      これまで、わいせつな文書は郵送することができなかったわけだ。
1960年 ラス・メイヤーの「ティーズ氏の不品行」という映画が、
      初めて女性の乳房を丸出しにした。
      ゲリラ上映で大成功をおさめる。
      日本では60年安保。
1964年 ヘンリー・ミラーの「北回帰線」、連邦最高裁でワイセツでないとみとめられる。
      初版がパリで発売されてから30年後。
1966年 18世紀のポルノの古典「ファニー・ヒル」が
      連邦最高裁でワイセツでないとみとめられる。
1967年 ブロードウェイ「ヘア」でヘア解禁
1970年 妊娠中絶が合法化される。
      日本では万国博覧会。
1971年 ロスでゲイ・コミュニティ・サービスセンターがオープン。
      オーラル・セックスを認める。
      「プレイボーイ」ヘアヌード解禁。
1974年 「愛の狩人」セックス場面が全員一致で連邦最高裁でワイセツでないとされる。

もっとも、オフィシャルな場面での歴史だから、
裏側ではエゲツないことが多い。
性を抑圧すると反発もあるので表の歴史だけで判断してはいけないのだが、
このあと世紀末のアメリカの性の解放しすぎは、
今の日本に輸入されている。


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posted by 精力博士 at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 精力 世界史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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